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太平洋を取り巻く国々と私

第24回 太平洋諸国とモンゴルと大相撲

公益財団法人東京財団
上席研究員
小松正之
2015年9月24日
平成27年大相撲秋場所初日

久し振りで大相撲を観戦した。9月13日の秋場所の初日であったが、両国の国技館は超満員で、やぐらの上には、「満員御礼」の垂れ幕が掲げられた。よく見ると、1回の桟敷席と枡席は、満席であるが二階席は、ほんの少し空席がある。観客は国際色豊かであり、世界中から来ている。

本年5月に米国のメリーランド州のスミソニアン環境研究センター(SERC)を尋ねたが、アンソン・ハインズ所長はワタリガニ(チェサピーク湾のシンボルで、ブルー・クラブと呼ばれる)の研究と会議で来日して大相撲の観戦もする。午前中から、両国の国技館に行き、切符を買い長時間観戦するとのことだ。


力士も外国人

番付表を見ると前頭以上横綱までの力士42人(休場中の日馬富士を含む)のうち18名が外国籍力士である。観客も外国人が多いなら、力士も外国人が多い。横綱の白鳳をはじめ、横綱の鶴竜と大関照の富士などで、上位力士で日本人は数えるほどしかいない。大関稀勢の里と豪栄道と琴奨菊か。若乃花と貴乃花の兄弟がいなくなってから、最近は日本人力士の横綱は出なくなったか。考えてみれば、北海道や青森県から、千代の富士や北の富士のような、仕事や学校の行き帰りで鍛えた人物も、日本が豊かになっていなくなった。

最近の外国人力士はほとんどがモンゴル出身であるが、初期のころはハワイとトンガの太平洋諸国の出身者が目立った。太平洋諸国も米国とのコンパクト協定で支援などがあり、豊かになったということか。


朝青龍の輝く肌艶

私が相撲を見に行ったのは、2007〜9年の横綱朝青龍全盛時代であった。土俵入りや蹲踞の際の肌艶は群を抜きんでて輝く。その動作も素晴らしく俊敏であった。其れまでの取り組みがかすんで見えた。大変強く相手を寄せ付けなかった。朝青龍が所属した高砂部屋は、横綱や大関を多数輩出した名門である。外国人で初めて東の関脇まで上り詰めたのが「ジェシー」の愛称で親しまれた高見山である。彼は、先代の貴乃花との取り組みが人気を博した。初土俵が1964年であり50年も前である。その後小錦を横綱にするかどうかが議論になり、相撲は強さだけでなく、品格も必要であるとか言われた。その後は曙や武蔵丸が外国力士ながら、横綱に昇り詰めた。現在では、だれも疑問視しない。


狭い国技館の桝席

桝席は狭すぎる。3人でも狭い。足を伸ばせない。伸ばすと隣の席に入り込んでしまう。2人が適切であると思う。現に慣れた観客は2人できているのが何組かあった。彼らは年配者の男性と妙齢の女性客の組み合わせで、お土産も持ち帰らない。桝席は「お茶屋」から切符を購入するが、随分に古風な制度である。築地市場にも「お茶屋」の制度があるが非なるものである。桝席には弁当、おつまみ、お酒などの飲み物と持ち帰り用の土産が付く。これらのものをどれだけの人が現在は喜んで欲しているのだろうか。50年前の高度経済成長の頃なら自宅にお土産として持っていくのは喜ばれた。私の父が結婚式の引き出物と御膳を手に付けずに持ち帰ったものが大変嬉しかった。


相撲取り組み(写真 幕の内土俵入り)

(株)カワシマの川島幸子社長のお目当ては遠藤である。遠藤は石川県穴水出身でロシア出身の阿夢露と対戦した。取り組み前に桟敷席に席を得て、じかに激励の言葉を発し観戦した。遠藤が勝利した。川島社長も大満足であった。遠藤はけがが治りきらないと伝えられるが、見目もよく、精進して昇り詰めてほしいものだ。

この日は、結びの一番に波乱があった。横綱の白鳳が、西小結の「隠岐の海」に敗れた。負け方が悪かった。上手が上がり簡単に力負けした。せった一番で、ミスをした相撲ではなく、気と力強さが伝わらなかった。翌日も負け、休場した。国技館の優勝力士の額がほぼ白鳳一色となったことが、一つの時代の区切りを暗示しているのであろうか。「盛者必衰の理」はすべての人に当てはまる。



写真 秋場所初日幕の内土俵入り 著者撮影2015年9月13日


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