世界と私

第7回 アメリカ大陸の発見者はコロンブスかアイスランド人か

国際東アジア研究センター
客員主席研究員 小松正之
2014年4月29日


海と日本人
 私は子供のころから太平洋の海原を眺めるのが、好きであった、水平緯線が遥か緩やかに下がり地球が丸いことが知られた。約20年後の1982年、私は米ニューヘブン市から、大西洋の海原を見渡した。そして、アラスカ州のアンカレッジやジュノーに行った。日本から、戦前と戦後、多くの漁民が海を渡り漁業や加工業と海運業に従事した。


海洋民族バイキングはアイスランドへ
 ノルウェーやアイスランドのバイキングがアメリカ大陸に行く。そこで、タラ漁やブドウを栽培して、生活の糧や富を得ては自国に戻った。彼らは、誰にもその富の源や豊かな漁場を教えなかった。本来は、ヨーロッパ世界の最初のアメリカ大陸の発見者は、バイキングである。
 恐れられた大海原の大西洋であったが、親近感を持ち征服に乗りだした。9世紀にはアイルランドの修道士たちが、オークニー諸島からシェットランド諸島へと渡り、フェロー諸島に足を伸ばし、860年ごろにはアイスランドに到着し、10世紀にはアイスランドにも定住した。彼らは、神に仕える隠遁の場を求め、篤い信仰心は、危険をものともしなかった。実際的な目的も持った船乗りたちが、そのあとに続いた。冒険心の強い人が、荒海を超えて住み着きひそかに秘密の知識を持った。ノルウェーの複雑な政治情勢や農耕地が少なすぎたことが原因かもしれない。
 彼らは夏には東風が吹くことを知っていた。西からの卓越風で故郷に帰れることも知っていた。


アイスランド人のアメリカ大陸の発見
 アイスランドで国外追放になったエリクはグリーンランドを発見した。そして985年以降にエリクの息子エリクソンが西方に出かけ、北米大陸のラブラドル半島とニューファンドランド等に到着した。こうした航海により北米大陸の存在はヨーロッパ人には意識された。1300年ごろに書かれた「アイスランド年代記」はグリーンランドの南にバッフィン島があり、その南にラブラドル半島があると記述する。
 彼らは、高度の航海技術もないままに、大西洋の東西を行ったりきたりしていた。父は息子にサガ(アイスランドなどの神話)を語り、そして、文字にされない航海術を教えた。
 一方氷河期にはアジア大陸と北米大陸は陸続きであり、1〜2万年前、アジアから北米大陸にインデイアンの祖先がすでに住み着いていた。


コロンブスの北米大陸への到達
 クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年である。彼はスペイン女王のイサベル資金援助を得て、航海に出た。彼はマルコ・ポーロの東方見聞録を読み、地球は丸いと信じ、スペインから西に出航すれば、黄金の国ジパングとインドにたどり着くと信じたが、結局、サンサルバドール島に着いた。これがアメリカ大陸の発見といわれている。
 この大陸は南米を発見したアメリゴ・ベスブッチに因みアメリカと呼ばれる。
 北米の新大陸の入植には、英はインド経営に多額の投資をして、利益を上げていたので、着手が遅れた。その後、欧州の国々で、富や土地を持たない農民・宗教戦争で、疲れた農民が移住した。また、英国教会が設立され、信仰を強いられた英国民は信教の自由を求めて移住を決意した。命がけであった。


海は希望と可能性の地
 海や新天地は、日本人だけでなく、世界の多くの人々にとって、現状からの脱皮であり、新しい可能性や、自由と安らぎと富をもたらす希望と可能性の地である。それらを求めるのは人類の普遍の行動である。南氷洋にはこれから生物、環境と科学の源と食料としての無限の可能性がある。それを将来の人類に切り開き、提供し、模範となることは、海洋国家日本の使命であり義務である。それを放棄する現在の政府の姿勢と交渉が情けないと、数多くの日本が残念がる。とりわけ世界の海で活躍した先人が嘆いているのではないか。


北米大陸の発見者アイスランド人の子孫と筆者との会食 2012年レイキャビックにて
北米大陸の発見者アイスランド人の子孫と筆者との会食 2012年レイキャビックにて


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