世界と私

第4回 ノルウェーの近代化を支えた人々;イプセン、グリーグとムンク

国際東アジア研究センター
客員主席研究員 小松正之
2014年3月23日


バイキングの国 独立は1905年
 ノルウェーはバイキングの国である。バイキングは9世紀から11世紀までの武装船団によるヨーロッパ各地への海賊・交易・植民を行うスカンジナビア半島などに居住する人々を言った。
 もともとノルウェーとは「北方への道」を意味する。
 国土の面積は世界各国のアクセス権を認めたスバルバール諸島を含め約38.6万平方キロ(日本は37.6万平方キロ)で、人口は約505万人(2013年1月)である。首都はオスロで、17世紀に街を再建した同君連合のデンマーク王クリスチアン世に因んでクリスチアナと呼ばれた。母国語はノルウェー語であるが、ほとんどの人が英語を話す。
 この国は1380年にはデンマークとの同君連合を形成した。1814年のナポレオン戦争でフランス側についたデンマークが敗れ、ノルウェーをスウェーデンに割譲したことによって同国と同君連合を形成する。そして、長年の不満が高まり、国民投票の結果、スウェーデンから離脱し、独立したのが1905年である。
 この独立前後のノルウェー有名人を探ってみると戯曲作家のイプセン、音楽家のグリーグそして画家のムンクではあろう。昨年はムンク生誕150周年の展示を国立美術館などで行った。


イプセンは社会への問題提起
 ヘンリク・イプセン(1828〜1906年)の作品「人形の家」を高校時代の名前を知って以来43年後に漸く読んだ。ノルウェー社会で、女性は嫁しては夫に従い、そして、老いては子に従えという。それはあたかも、この劇の主人公の女性ノラが人形を好きなように扱うことに似て、夫から、人形のように扱われ、それに対して、反旗を翻し、自立の道を歩むことを表現している。夫への反抗と自立を目指すことで、この時代に大きな反響を呼んだ。


グリークは権力への反抗
 エドバルド・グリーグ(1843〜1907年)はベルゲンにうまれた。彼はイタリアのローマを愛し、何度も訪れた。ノルウェーから離れグリーグは祖国のゆたかな文化、芸術と歴史を理解し、世界に紹介する能力が自分にはあることを確信した。また、イプセンとの出会いが彼を大きく刺激した。穏やかな中に、強い気持ちの現れる「ピアノ協奏曲イ短調作品16」やイプセンの戯曲である「ペールギュント」は自由奔放でグリーグはそれを補う。彼は晩年にドレフュス事件(1894年)で、ユダヤ人であるがために、情報のリークでスパイに仕立て上げられたドレフュスを擁護し、彼の無実を訴え、フランス政府の差別的対応を強烈に批判した反骨と反権力の意思と行動の人である。


ムンクの狂気と病弱そして正統性
 エドバルド・ムンク(1863〜1944)は生まれてすぐにクリスチアナ(オスロ)に移住した。軍医である父と農業と船乗りの家系の母ラウラに生まれた。伯父のベーテル・ムンクはノルウェー独立運動の闘士として客死し、一族の誇りであった。母は病弱で、結核でなくなり、姉も同じ病気で亡くなった。ムンクは父の狂気と母の病弱を受け継いだと生涯強く意識し、作品に現れる。代表作に「叫び」や「マドンナ」がある。
 パリやベルリン、仏リビエラ海岸で過ごし、温かい環境も経験する。また、前衛的芸術家とであい、無政府主義や権威の反抗も経験する。彼の絵画を見ると、心の内面が見えてくる。この描き方は、ムンク独特のものであるが、内面の描写は芸術家が主題とする。だから、ムンクとは異端の画家ではなく、本来の正統の画家であろう。


大国に挟まれた小国の3巨人に学べ
 彼ら、3人に共通するもの。自分を徹底して磨き、他との比較をせずに独自の個性を前面に出して強く生きたことであろう。ノルウェーの社会が生み出した巨人ではあるが、独立前後の不安定な国民の心理に自信を与え、リスクを恐れず、自立し個を明確に持って生きることの意味をを教えノルウェーの国際的評価をさらに高めた3巨人である。たった500万人の人口から、これら偉大な人物が輩出されたことと生きざまに現在の日本人も学ぶべきことが多い。

ムンクの「マドンナ」
ムンクの「マドンナ」


カワシマのホームページへ