日本人とは何か
第110回 2022年10月ローマ訪問記(その2)
代表理事 小松正之
2023年1月25日
トレビの泉
1988年3月私はカナダのオタワでの日華漁業交渉ののちにローマの国連食糧農業機関(FAO)での会議に出席した。私は初めてローマを訪問する機会を得た。それまで行ったこともなかった。当時の在イタリア日本大使館の公使と前任者に市内のイタリア・レストランで魚料理をご案内していただいた。これがローマでの初めての食事であった。ホテルは大使館近くのMarcellaでローマのホテルはとても狭かった。
案内してもらったトレビの泉は当時も大変に有名であった。オードリーヘップバーン主演の映画「ローマの休日」の影響であった。
ところで2022年9月28日の1988年から35年間の行きつけのイタリア・マルケ地方の家庭料理のレストラン:カンティーナ・カンタリーナで食事をした。私の35年の入魂の経営者は年金生活の入ったと後継者の娘が言う。とても寂しかった。
食事後トレビの泉に20分ほど散歩がてら歩いて向かった。
トレビの泉 中央が水の神ネプチューン 2022年9月28日著者撮影
トレビの泉は泉に後ろ向きに右手で左肩越しにコインを投げ入れる。一度目に投げ入れると、再びローマに来ることができる。2度目には大切な人と永遠に一緒にいることができる。3度目は、自分の妻や夫と離婚することができるというものである。私は、3度投げ入れた。そのためにローマには住むこともでき、その後にたくさん訪問した。離婚はカソリック教で禁止されていた。付近の土産物店で、娘たちに木製ピノキオのマリオネット人形を買った。イタリアはピノキオの国なのでこの人形を買い求めた。
コンスタンチヌス帝の凱旋門とコロッセオ
コンスタンチヌス帝凱旋門とコロッセオ(巨大円形競技場)2022年9月30日著者撮影
コンスタンチヌス帝の凱旋門は同帝がテベレ川に懸かるミルビオ橋の戦いで、ローマの正帝マクセンチウスを破った記念に、315年にフォロロマーノとコロッセオの間に建設された。しかし、コロッセオは当時のネロ帝の「黄金に庭」の敷地内に紀元後72年に創られた。ネロ帝が動物をシチリアのローマ帝政時代の大豪邸のピアッツア・アルメリーナを経由してアフリカから集めて、ローマ征服地の戦士;グラヂエーターらとたたかわせた。コロッセオの中に船を浮かべて海戦を模した。それらをローマ市民が見物して喜んだ。皇帝の市民からのご機嫌取りであった。
ローマ市街の日本大使館から南のカラカラ浴場にあるFAO本部に数えきれないほど通ったが、毎回コロッセオの脇の通りを自動車で通り過ぎた。壮大な景色であった。この世のものとは思えなかった。コンスタンチヌス帝の凱旋門とパリのシャンゼリゼ通りの凱旋門は両方とも巨大である。巴里の凱旋門は上まで登れるが、こちらは登れるほど大きくない。
スペイン広場とローマの休日
観光の定番であり、有名になったので、よく、観光客を案内した。
この地に以前はスペイン大使館があったのでスペイン広場と呼ばれる。ここには小舟の噴水(Fontana della Barcaccia)がある。スペイン階段は、オードリーヘップバーンがアイスクリームを食べて有名になった所で、私がイタリア大使館勤務の時代(1988~91年)は自由に上り降りができて座るもの自由であったが、現在は座るとすぐに警察官が注意しにやってくる。世知辛い世の中である。スペイン広場に面した通りとそこから縦に南に、コルソ通りに延びるコンドッテイ通り(Via Condotti)にはフェラガモ、ブルガリとタニノクリスチーなどのたくさんの有名ブランド店がひしめいている。
1990年にローマをご訪問された海部俊樹元首相のご夫人の買い物のご案内係を私が仰せつかったが1年足らずの滞在で何も知らなかった私が海部夫人からご案内をされたことが懐かしく思い出される。また、小渕恵三元総理(当時自民党幹事長)ご夫妻の食事のご案内もさせていただいた。和服姿のご夫人がとても優雅で気品があり印象に強く残る。
水産庁長官を退職後の佐野宏哉ご夫妻と内村良英元農林次官ご夫妻もご案内した。ご両人とも役人時代には、見せない奥様への気の使いようであった。(続く)